B2B Compass
前回のコラムでは海外マーケティングで近年注目されている「トランスクリエーション」とは何か?について解説しました。トランスクリエーションは「トランスレーション(翻訳)」と「クリエーション(創作)」を組み合わせた言葉です。AIで瞬時にできてしまうような「正しい翻訳」ではなく、マーケティングやブランディングを踏まえた、海外ビジネスを推進する「効果のある翻訳」であることをお伝えしました。
今回は、トランスクリエーションがB2B海外ビジネスにどのように役立つのかについてお伝えし、「効果のある翻訳」からさらに考えを進めて、後半では「価値を高める言葉」というお話までしてみたいと思います。
INDEX
事業をグローバルに展開していく上で欠かせないのが翻訳です。グローバル展開しているBtoB製造業を対象に2024年1月に実施された「BtoB製造業のグローバル展開における現状調査」でも、BtoBの海外向け製品の運用課題として「商品情報の翻訳とローカライズ」が上位に挙げられています。
出典元「株式会社Contentserv」
とにかく正確に翻訳することが目的であれば、今では機械翻訳や生成AIの力を借りれば十分なレベルに達してきています。しかし、それでも上記の調査で挙げられたように、事業をグローバル展開する上での翻訳には大きな課題があるのです。
一体なぜでしょうか?
そこでキーワードになるのは「新しい共感」です。前回のコラムでもトランスクリエーションの重要な特徴として「新しい共感の創造」を取り上げました。
前回のまとめ
・新しい共感 = これまでになかった親しみや愛着
・トランスクリエーション = 新しい共感を的確に言語化すること
経済産業省の通商白書2022では、コロナショックを契機に「デジタル変革」「地政学リスクの増大」「共通価値の重視」「政府の産業政策シフト」という4つのグローバルトレンドが加速し、企業経営に大きな不確実性をもたらしていると指摘されています。AIに代表されるような最新技術やポストコロナ時代における価値観の変容など、世界経済、社会潮流、人々の認識などは言わずもがな日々変化していきます。
B2Bビジネスをより効果的にグローバル展開していく上で、「当該国や地域の“今の文脈”を読み込んでコミュニケーションすること」ができないと、商談の機会を逸したり、製品や企業のブランド価値を毀損する恐れがあることは想像に難くないでしょう。
どの国や地域においても「これまでの価値観」と「これからの価値観」は、差分の大小はあれど、変化し続けるものであり、「これからの価値観」にフィットするコミュニケーションを行うことが重要です。これから人に共感される製品や企業のあり方。時代の変化にふさわしい、これまでにはなかった共感(新しい共感)を多言語で生み出すのがトランスクリエーションです。
トランスクリエーションのトランス(Trans)は「向こう側へ越える」ことを意味する接頭辞です。不確実性が増す時代において、ビジネスを展開する上で様々な壁が立ちはだかります。そのあらゆる壁の向こう側へ越えて、新しい共感を創造するのがトランスクリエーションの力だと言えます。
B2Bの翻訳においては、主に「正しい翻訳」が重要視される場面と、新しい共感にもとづいた「効果のある翻訳」が求められる2つの場面があります。
技術文書、契約書、法律文書などにおいては、誤訳が重大な問題を引き起こす可能性があります。専門用語や技術的な詳細を記述する際には、極めて正確に翻訳することが重要です。正しい翻訳により、契約時や技術の伝達時における誤解を防ぎ、顧客との信頼関係を構築することができますし、海外事業の担当者は安心して事業を進めることができるでしょう。しかし、「正しい翻訳」はそれがどれほど多量であったとしても、また専門性が高かったとしても、かなりの程度を機械翻訳や生成AIで瞬時にできるようになってきたことは周知の事実でもあります。
一方で、マーケティング資料やプレゼンテーション、企業のビジョンやミッションなどの伝達においては、顧客の気持ちを動かす作用を持つ「効果のある翻訳」である必要があります。例えば、製品販売後もメンテナンスや関連プロジェクトで顧客との関係が長期に続く場合、ターゲット企業の心に響くメッセージを伝え続けることで、顧客との信頼関係をより深めることができるでしょう。「効果のある翻訳」は、新しい共感にもとづいて、顧客の感情に訴えかけ、製品や企業のブランドイメージを向上させることができるのです。
また、海外拠点を持つ企業にとっては、現地で働く自社の従業員のロイヤリティを高めることも大事な仕事です。国や言語が違えば、自社内といえど、価値観は多様に異なります。日本法人の価値観をそのまま海外拠点に押し付けてしまっては、従業員のロイヤリティが担保されないリスクがあります。現地の従業員の心にしっかり届くようにコミュニケーションを行う。この場合もトランスクリエーションは非常に有効な方法です。
トランスクリエーションは、伝えたいメッセージの背景や意図、文化的なニュアンスを深く理解し、ターゲットオーディエンスに響くかたちでコミュニケーションを再構築するプロセスです。トランスクリエーションを実施することで、B2B海外ビジネスでは以下のような具体的なメリットが生まれます。
1. 顧客や海外拠点従業員との強い信頼関係の醸成
2. 多文化理解の促進にもとづく長期的な関係構築
3. ブランドイメージの向上
4. グローバルマーケットでの競争優位性
一つずつ簡単にご説明します。
ターゲット市場の文化や価値観を尊重し、それに合わせたメッセージを伝えることはトランスクリエーションの得意技です。顧客は自分たちのニーズや期待に応えてくれていると感じて信頼感が高まりますし、上述のように海外拠点の従業員のロイヤリティも高まります。
例えば、製造メーカーが海外市場に進出する際、製品の機能や特徴を説明するだけでなく、その製品がどのようにして開発され、どのような価値を提供するのか、「新しい共感」にもとづいたメッセージで伝えることで、現地の顧客からの興味と信頼を得ることができるでしょう。
良質なトランスクリエーションは多文化理解を促進します。海外ビジネスの展開において、異なる文化や価値観を理解し、それに合わせたメッセージを発信し続けることで、現地の顧客やパートナーとの関係を長期的に円滑に進めることができるようになります。
トランスクリエーションには、企業・製品・サービスなどのブランドイメージを向上させる効果があります。ターゲット市場において、現地の文化や価値観を踏まえて尊重しながら、「新しい共感」を呼び起こすメッセージを発信することで、ブランドの価値が高まります。
トランスクリエーションによってブランドイメージを向上させることで、グローバルマーケットでの競争優位性を確立できます。現地市場に適応したメッセージや戦略を展開することで、競合他社との差別化を図りやすくするポイントになります。
ここまで見てきたように、トランスクリエーションは何かを創り出すもので、冒頭に述べた「トランスレーション(翻訳)」と「クリエーション(創作)」を組み合わせた言葉である所以でもあります。
B2B海外ビジネスにおいてトランスクリエーションが創り出すものは「信頼」「長期的な関係」「ブランドイメージ」「競争優位性」などですが、あえてまとめると「企業・製品・サービスの価値を高めている」と言えるでしょう。
B2Bビジネスではこれまで「機能的価値」が重視され、B2Cビジネスのような「情緒的価値」に重きを置かれてきませんでした。しかし、電通コンサルティングによるこの記事にあるように、「情緒的価値」を高めることが日本のB2B企業成長の鍵になるのです。
ここで取り上げられている、3Mとデュポンという海外B2B企業の事例をご紹介します。
3M……剥がしやすい接着剤マイクロスフィアを活用し、ポスト・イットを商品化
デュポン……ナイロン、テフロンを開発
という機能的価値に対して
3M……“Science. Applied to life.”(科学を生活に応用する)
デュポン……“The miracles of science”(科学の奇跡)
このような情緒的価値を打ち出したことで企業イメージを向上させ、高い技術を要求される分野で新規用途開発が行われる際には、まずこれらの企業に声が掛かるようになったといいます。
トランスクリエーションという言葉はもともと翻訳業界の専門用語ですが、3Mとデュポンの事例のように、トランスクリエーションは必ずしも「翻訳」だけに限られたものではないと私は考えています。
一方、コピーライティングとトランスクリエーションは何が違うのか?について解説すると長くなるので別の機会に譲りますが、トランスクリエーションの本質は、トランスクリエーティブな考え方(トランスクリエーション思考)によって生み出す、その創造的なプロセスにこそあるはずだからです。トランスクリエーションは、新しい共感を的確に言語化し、「価値を高める言葉」として提供されるものといえます。
生成AIを使えばいくらでも簡単に文章は書き上げられますし、「キャッチコピーを100個作る」ことも瞬時にできます。しかし、ターゲットの心情を読み解き、心に響くポイントを洞察したものを言語化するという「ネット上にあるロジックだけでは到達できない」表現はAIで成し遂げられるものではありません。このことについて述べた『トランスクリエーション:AI時代に必要な哲学と共感のデザイン』という私のForbesでのインタビュー記事がありますので是非ご高覧ください。
そこでも少し触れていますが、江戸時代の英和辞典には、今の辞書で紹介する内容とは微妙に違うニュアンスの訳語が当てられています。
「Love letter=艶書」
「Juice=汁」
「Cake=円形ノ餅類ノ総称」
「Cabinet=密談」
現代とはちょっと異なる、江戸時代の文化に応じた言葉の役割が垣間見えるようではないでしょうか。
普段私たちが何気なく使っている「社会」「教育」「自由」「権利」「個人」「科学」なども、明治時代に近代国家形成に向けて外国語から日本語に翻訳された概念です。当時はそのトランスクリエーションを福沢諭吉や西周などの知識人が担いました。
現代の日本人が日常的に考え、話し、やりとりしている単語の多くがわずか150年前の明治時代にトランスクリエーションされたものだと考えると、トランスクリエーションがいかに社会の根幹に関わっているかがわかります。言葉は時代や文化の様相を反映して、人の考え方に影響を及ぼすものです。どんな言葉を使って日々生きるか、それがその人や企業の行末を左右していると言っても過言ではないと私は考えています。
少し話が大きくなりましたが、ことB2B海外ビジネスにおいても、トランスクリエーションは今後ますます重要な役割を果たすでしょう。社会が大きく変化し、グローバルでの競争が激化する中で、製品やサービスの「正しい翻訳」だけではなく、ターゲット市場に深く響かせる「新しい共感」を呼ぶメッセージの創造は、B2B海外ビジネスを力強く推進するに違いありません。
小塚泰彦
博報堂を経て渡英。Royal College of Art イノベーション・デザイン・エンジニアリング学科MPhil.を中退して英国人と共同で株式会社 morph transcreationを創業。米国トップ企業をはじめ数多くの大手企業にトランスクリエーションを提供。また、トランスクリエーションの概念を独自に拡張し、翻訳やコピーライティングだけでなく、文化資本経営を推進する新たな方法として構想している。自身も能・茶道・和歌を稽古し日本の古典文化に傾倒。電通B2Bイニシアティブのビジネスパートナー。