B2B Compass
前編では、旭化成ファーマにおけるデータドリブンマーケティングの取り組み概要や変遷、具体的な効果などについてご紹介しました。
後編となる本記事では、データドリブンマーケティングを成功させるポイントや今後のビジョンなどについてお話を伺い、おまとめしております。また、今後の日本企業が心がけるべき点についても提言いただいたので、ぜひ参考にしてみてください。
旭化成株式会社 デジタル共創本部 CXトランスフォーメーション推進センター センター長
石川 栄一
旭化成ファーマ株式会社 医薬営業本部 デジタルマーケティング プロジェクトデジタルコミュニケーショングループ グループ長
桐山 泰明
電通国際情報サービス 製造ソリューション事業部 製造営業第3ユニット オートモーティブ営業4部
太田 直樹
電通 出版ビジネス・プロデュース局 デジタルコンテンツプランニング部 アソシエイト・プランナー
唐澤 和
INDEX
太田:貴社は、内製によるマーケティングチームが非常に優れている印象です。一方で、製造業の大手企業には、社内にほとんどマーケティング機能を持たない企業も多いと聞きます。
石川:マーケティングを外部のコンサルに頼っている企業も多いと思います。コンサルが頭を使って戦略を策定し、企業が手足を動かして施策を実行するというのは、あるべき姿とは言えないでしょう。本来、企業自身が戦略を考え、それを実行する能力も持つべきです。
旭化成ファーマは、他のBtoB企業と比べると比較的データドリブンマーケティングを実践できていると思います。その理由は、製薬業界はデータドリブンマーケティングが不可欠な業界だからです。
1つの医療用医薬品を開発するために、10年~20年ほどの時間と100~200億円の投資が必要です。したがって、その製品の立ち上げに成功しなければ、過去の膨大な投資が無駄になります。数年で試しに製品を作って「売れる・売れない」を判断するといった方法は、製薬企業では実施できません。投資に見合った成果をあげるために、マーケティング活動を徹底的に行う必要があるのです。
ですから、プロモーションチャネルを適切に組み合わせ、成果に結び付けることが大きな課題であり、マーケティングを慎重に行っています。
太田:貴社はプロモーションチャネルを組んでいく中で、どのようにKPIを設定しているのでしょうか?
石川:医薬品の営業は、基本的にルートセールスです。新薬をローンチした際には、医療機関に採用されるまでのプロセス、即ち案件管理を行いますが、採用後はLTVを最大化するためのカスタマーサクセスの位置づけになります。そのためKPIを設定する際には、医師との関係を重視し、顧客情報の収集、分析、サービスの向上などに焦点を当てる、いわゆるCRMの観点が重要になります。
医薬品の売上は、数量に薬価(単価)を掛けたものです。薬価は、当局から承認を受けた際に定められ、数量は(施設数)×(施設内の医師数)×(医師が担当する患者数)×(患者ごとの数量)、と分解できます。これらを順に追っていくと、まずは採用施設を増やさなければいけません。そして採用施設内の処方医師数を増やし、次に医師が受け持つ患者のうち処方される患者数を増やし、最後に患者の処方継続率を高めることが必要になるのです。
唐澤:貴社のターゲットは新規アプローチではなく、お付き合いのある医師や医院などが大半なのでしょうか?
石川:そのようなことはありません。製品によっては、新規開拓が必要な場合もあります。新規開拓では、競合他社の製品情報や売上などの市場データを活用しています。競合製品がどこで、どれだけ売れているか、などの情報をもとにして、ターゲットを絞り込んでいるのです。
また、診療明細情報を利用できるため、どの診療科でどのような製品が、どれくらいの割合で使用されているかを特定できます。この情報をもとにセグメンテーションを行います。また、学会情報や論文情報も入手できるため、特定の医師をピンポイントでターゲットに設定することも可能です。
唐澤:ターゲット先として大規模の医療機関が多い印象がありますが、開業医の方も対象になるのでしょうか?
石川:はい。業界での一般的な流れとして、開業医へのアプローチは、近年、基本的にテックタッチ(テクノロジーを活用した顧客との接触方法:Webサイトやアプリ、SNS、eメール、SMS、チャットボットなどの活用)が主流です。ただし、チャネル指向性は医師によって異なり、どの情報チャネルを好むかがわからないため、すべてのターゲット層に対してマルチチャネルでアプローチします。デジタルはコストが安価なため、ターゲットごとに継続的にアプローチをかけている状況です。
太田:MA(マーケティングオートメーション)を使って、ターゲットとなる医師をクラスターごとに分類してアプローチしているのですか?
桐山:まだスタートしたばかりですが、製品ごとにクラスターを作成しています。各製品の訴求ポイントを踏まえて、セグメントごとに伝えたいメッセージを決めています。導入フェーズなので、すべて共通というわけではなく、製品担当者と話し特色を出しながら進めており、結果をMRに伝えて反応の確認、シナリオのブラッシュアップを行っているところです。
太田:見込み顧客を設定したシナリオに乗せるためには、例えばメールを開いてもらうためのキャッチーなコンテンツも必要になると思います。どのような考え方で、制作を行っていますか?
石川:新しいコンテンツを制作する際には、製品に直接関連しない要素にあえて焦点を当てることも重要です。例えば、医局訪問や施設の特徴的な取り組みなど、他院の事例を紹介することで医師の関心を引くことができます。医師との良好な関係性を持続させるための手段としてメルマガを活用していますが、製品情報だけを過度に送り付けることがないよう注意を払っています。
太田:製品情報だけではなく、読み物としての記事に着目しているのはさすがですね。
桐山:重要なポイントは、受けるメールの内容や情報を、自分事に置き換えて考えることです。普段、私たちが受け取るメルマガの中には、開封すらされず、そのままゴミ箱行きになるものも多いですよね。効果的な情報提供を行うためには、製品情報を押し付けるのではなく、例えば「医局訪問」というコンテンツで他大学の教授の考え方や治療方針、関連病院の情報を発信するなど、医師にとって興味・関心が高い情報を提供することが大切です。
石川:医師は専門的な治療や疾患については詳しいですが、他の病院や医局の情報を持っていないことが多いのです。例えばA市立病院の先生がB大学病院の情報を知りたいと思っていても、なかなか情報が手に入りません。また、留学体験も医師にとって重要な情報です。私費留学をする医師も多いのですが、費用は高額で、また現地の生活で慣れないことも多いため、留学経験者の話やアドバイスは非常に価値があります。このように多様なコンテンツを発信することによって、メディアの活性化が促進されるのです。
太田:お二人と話していて思うのが、営業現場のことを本当に熟知されているということです。マーケティングの理論を学ぶだけでは、お客様が本当に知りたい情報や営業の気持ちに気づかない部分も多いと思いますね。
石川:営業現場での経験とマーケティング理論の両方を理解していることが重要だと思っています。理論やエビデンスによる裏付けがなければ「それってあなたが勝手にやっているだけじゃないの?」と言われてしまう可能性があります。しかし、営業経験があれば営業担当者の気持ちがわかり、現場に即した戦略・戦術を立てられるという強みが備わると思っています。
太田:これまでは営業活動におけるデータドリブンマーケティングのお話を伺ってきましたが、研究開発の領域など、営業以外の領域でマーケティングが生かされているケースはあるのでしょうか?
石川:開発担当者からの要望がある場合には、面談時の医師の反応を開発部門にフィードバックします。医薬分野以外での話になりますが、バリューチェーンの上流工程である研究開発段階からマーケティング思考を取り入れてほしいという依頼があります。
また、弊社(旭化成グループ)では去年の8月から、毎月企業やアカデミアの専門家を招致して社内で講演会を開催しています。対象は営業やマーケティング担当者としていますが、参加者のうち40%が研究開発部門に所属する従業員の場合もありました。つまり、研究開発部門の従業員もマーケティングが重要だと認識し、マーケットインの思考を持つ人が増えてきていると感じています。
唐澤:近年、営業の現場では、マーケティングチームと連携して効率よく働きたいという意識が強くなっている印象はあります。しかしその一方で、人間関係に重きを置く働き方も根強く残っているのでしょうか?
石川:両方あると思います。MRの仕事は訪問営業がベースのため、デジタルマーケティングに対する抵抗感を持つ従業員も存在しているのは事実です。20年以上前は医師との良好な関係づくりが自社製品の売上拡大に非常に重要だったため、頻回に訪問・面談し、時には接待することもありました。そのような経験を持つベテランな方ほど人間関係が最も重要だと考える傾向にあります。
一方で、上の世代の方でも「時代が変わった」とおっしゃる方も存在しており、どちらが正しいかは一概には言えません。若い世代でも、デジタルを活用する人がいる一方で人間関係を重要視する人もいます。顧客のニーズを確認するアプローチは、個人によって異なることもあるのです。
唐澤:少し話は変わりますが、日本の製造業におけるDXについて、今後の営業スタイルやアプローチに変化が必要だと思うことはありますか?日本の製造業は優れた技術を持つ反面、マーケティング戦略では課題が多いと言われています。そのような背景から、今後の製造業の営業・マーケティングに関するアイデアや、提案があれば教えていただけますか?
石川:私は日本人特有の傾向として「お客様に寄り添い過ぎている」ことがあると感じます。購買、研究、開発、営業など、取引先のさまざまなステークホルダーからの要望を一つひとつ全て取り入れようとする姿勢が、かえって商談の進展に悪影響を及ぼすこともあるでしょう。欧米では、ターゲットを明確に絞り込み、戦略を徹底的に実行することが重視されますが、日本人は捨てることを拒む傾向があります。その結果、お客様のさまざまな要求に対応し過ぎてしまい、開発納期やローンチまでのリードタイムが長くなるのです。
また、顧客が求めていないにも関わらず過度に高機能な製品を作ろうとした結果、競合他社に勝つことが難しくなることもあります。
したがって、最大公約数的なアプローチではなく、ターゲットを絞り込んだ上で製品のスペックを設定し、何がお客様にとって重要で幸せなことなのかを見極めることが大切です。高機能の製品を作ること自体が良いことだとは限らず、コスト面も検討する必要があります。お客様にとって本当に価値のあるものを提供するために、必要なものと不要なものを見極めることが重要です。
唐澤:「やらないことを決める」というのはとても重要ですよね。桐山さんはいかがでしょうか?
桐山:医療用医薬品以外の業界についてはわからないこともありますが、営業において働き方改革も重要だと思っています。デジタル技術を活用することによって、行動やプロセスをより効率化する方法を見つけられるでしょう。営業活動の効率化を図ることで、全体のパフォーマンスを向上できると考えています。
太田:今後は人材不足が加速すると言われていますから、営業部門においても「やらないことを決める」ことで業務を効率化する必要性がますます高まっていきそうですね。単純にデジタル技術を導入するだけではなく、具体的なデータを活用して営業活動がより効率的で容易になる方法を見つける視点を持つことが重要だと思いました。
石川:近年ではデジタル技術の適用範囲が広がっており、Webサイトの閲覧情報など医師の行動をより詳細に理解できるようになっています。このようなデータを収集し、営業活動を効率化する方法を模索することが重要です。
桐山:ただ、データから得られる情報を実際に行動に移すにあたっては、検討が必要になるケースも多々あります。弊社でも以前、データ分析チームから顧客への訪問頻度を削減することで他にリソースを回すことができる、という提案が行われたことがあります。しかし、それを本当に営業現場で実行するのか、実行するとして営業所長がどのように現場のMRへ指示を出すべきか、というのは悩ましい部分だと思います。MRの立場からみても、自分のお客様に対して訪問回数を減らすことは勇気のいる決断だと思います。
石川:理屈やデータの側面だけではなく、営業を経験してきた立場からその感覚も理解できます。これまで毎週のように会っていた人が、あるタイミングから月1回しか会えなくなった場合「何か会社から言われているのではないか?」と不安に思ってしまうかもしれません。とはいえ、今後は営業活動が減少していく方向に進むでしょうし、その変化をうまく受け入れ、営業にしかできない付加価値を提供することが大切だと思います。
太田:石川さんと桐山さんのように、営業経験と実績が豊富で、さらに理論に裏打ちされたマーケティングスキルを持ち、かつデジタルにも精通しているのは、現代における営業の最強の姿だと思います。その3種の神器を持つお二人が、今後はどのようなゴールを目指したいと考えているのでしょうか?
石川:究極の目標は、自社製品がお客様に選ばれ続けることです。長期間愛用し続けてもらう状況を作り出すためには、やはり顧客満足度を圧倒的に高めなくてはいけません。お客様に「これ以上に素晴らしいものはない」「自分のお気に入りはこれだ」と感じてもらう必要があります。
例えば「ブランドのバッグが好き」という人は、品質だけではなくステータスやデザインなど、さまざまな要因を総合的に判断してそのブランドのファンになっていますよね。そのように製品特性だけでなく、その周辺の要素も含めてお客様が魅力に感じる価値をどのように提供するかを考えることが重要です。しかし、これに対する明確な答えは現時点ではありません。
桐山:そうですね。その意味ではお客様への情報提供が重要な手段の1つだと思います。製品を提供した際に、次のステップやフォローアップについての情報を提供することで、その製品がよりお客様にとって使いやすいものとなります。口頭で一つひとつ伝えるのは難しい場合もあるため、情報提供は非常に重要です。
石川:そのため、デジタル、フィールドセールス、カスタマーサクセス、パートナー、そしてインフルエンサーなど、さまざまなチャネルをトータルで捉えた戦略を設計し、役割を分担する必要があります。
桐山:補足として、こちらから提供する情報がお客様にとってうるさくならないように注意することも大切です。データを活用してお客様が嫌がるコンテンツを排除することは重要で、もしかしたらそこにはAIを活用する可能性が潜んでいるかもしれません。
唐澤:石川さんはグループ全体のDXに取り組まれるお立場ですが、旭化成ファーマ様で実現されたデータドリブンマーケティングを、今後社内でどのように横展開していく予定ですか?
石川:私は昔から、会社にとって人が最も重要で、人を育てることが何よりも大切だと思っています。ですから、旭化成ファーマに在籍しているときには、スタッフにまずマーケティングの基礎理論を書籍で学ばせ、検定を受講してもらい習熟度を測っていました。次に一般的なマーケティング講座を受講してもらい、医薬専門のマーケティング研修を受ける機会を提供してきました。これらのステップを踏むことで、マーケティングのフレームワークを活用して戦略を構築できるスキルを持つ人材となる第一歩を踏み出すことができると思っています。
現在、旭化成グループは全社でオープンバッジ制度を展開しています。製造や研究、IT基盤、営業、マーケティングなど、さまざまな職種に対応できるコースを提供しています。デジタルマーケティングのコースを設け、レベル2からレベル5までの段階的なトレーニングプログラムを提供している状況です。レベルアップに合わせてアセスメントも行い、スキルの向上度を評価します。
仕事はチーム戦です。オープンバッジ制度に加えデジタルマーケティングのロールプレイング形式の研修を内製化しており、3人1組で協力して課題に取り組むことで実際の現場で役立つスキルも磨いてもらっています。
マーケティングの重要性を社内に理解させ、実務として浸透させるためには、インターナルマーケティングが欠かせません。そのため、ポータルサイトを立ち上げて研修に参加した従業員のコメントや写真の掲示、DX事例集や社内講演会のアーカイブ動画、おすすめ図書の紹介などを行っています。
現在、意欲的な従業員に向けて上級者向けクローズドセミナーの開催を検討中で、今後も人を育てることに注力していきたいと考えております。
デジタルマーケティングのトップランナーであるお二人が「究極の目標は、自社の製品がお客様に選ばれ続けること」だと分かってはいるものの、それを達成する絶対の方法はないと語られていたのが印象的でした。また、データドリブンな文化を浸透させるために、マーケティング担当者から製造や営業に歩み寄って密接な連携体制を構築する試みは、非常に本質的で重要であると感じました。
本記事の内容が、読んでいただいた方のデータドリブンマーケティングの成功の一助となれば何よりです。